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説明によると、平家に仕えた名門武士、斉藤時頼(滝口入道)が雑仕横笛(ぞうしよこぶえ)と恋におちたが、実らぬ恋と悟って時頼は出家し嵯峨の往生院に入りました。
後に高野山で多門坊淨阿(たもんぼうじょうあ)と称し、仏門修行の毎日を送りました。 
横笛も跡を追い、奈良の法華寺で生涯を終えたとか、桂川に諸説はがありますが、治承三年(1179年)高野山に入った時頼のあとを慕いここに庵を結び、恋しい人にあうこともなく十九歳で病の為に亡くなったと伝えられています。里人により庵のそばに葬られたという塚、それが横笛の恋塚です

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「かつらぎ町今むかし話」によると……
たまたま天野を通った僧から、横笛の話を聞いた
滝口入道は心のあかしの和歌を横笛におくった。


   そるまでは  うらみしかども  あずさ弓  まことの道に  入るぞうれしき

横笛は、この和歌を受けて

   そるとても  なにかうらみん  あずさ弓  引きとどむべき  心ならねば

と優しく答えました。



   横笛の、病のとこに、滝口入道から送られてきた和歌は、

高野山 名をだに知らで 過ぎぬべし   うきよよそなる わが身なりせば


   それにこたえて横笛は、


やおや君 死すればのぼる 高野山  恋もぼだいの たねとこそなれ
                                          と、今もかわらぬ思いを伝えました