高瀬川に架かる三条小橋

三条小橋

江戸時代より木屋町〜河原町間の三条通りは現在より道幅が狭く、又、右側の旅館「吉岡家」は江戸時代から続く旅館です。
江戸の警護をして有名な庄内藩士「清川八郎」が安政二年に書いた紀行文「西遊草」のなかで、三条小橋のかたわらの「吉岡や」に泊まったと記してあります。

三条小橋

「「京城勝覧」(儒学者・貝原益軒著)のなかに「三条小橋高瀬川にわたせり。此の下より舟にのり伏見にゆく。此邊より大橋の際まで旅籠屋多し。」と当時の三条小橋周辺を紹介しています。