-

琵琶湖疎水をつくるためには、大津と京都の間の距離と高低差を正しくあらわした地図をつくる必要がありました。
そこで、琵琶湖の水面からの高さを地面に直接記録しておくために大津から京都までの間に四角い石に丸い印をつけた石点がおかれました。

写真はその一つで、第2トンネル出口と第3トンネル入り口の中間付近の道に置かれていたものです。

-

第1疎水建設の頃は、材料・機械が不十分なうえ電気もなく、工事のほとんどは人力で進められました。4年8ヶ月間の工事に延べ400万人が疎水建設工事に従事しました。

-

「疏水」という言葉は水路を開いて水を通すことを意味しますが、琵琶湖疎水は明治14年から予備調査を始め,明治18年6月に起工、明治23年4月、第一疏水第一期工事(夷川の鴨川合流点まで)が完成しました。また、鴨川合流点から伏見墨染のインクラインまでは,明治25年11月に起工、27年9月に完成しています。

-

「工事は北垣知事の下,工部大学校(東京大学工学部の前身)を出たばかりの田辺朔郎(1861〜1944)を設計・指導者として日本人の力だけで施工されました。」という。
また、「延長2436メートルもある滋賀県側の長等山疏水トンネルは、当時としては日本で最長のものでした。山の両側から掘るほかに、山の上から垂直に穴を掘り工事を進める竪坑方式を採用して工事の促進をはかりました」とある。

測量機器や工事機械がない時代にどのようにして高低差や距離を求めたのだろうか。
琵琶湖の水位(O.P約85メートル)蹴上船溜(インクライン上部)の水位(O.P約81メートル)の差は4メートルあり、琵琶湖第1疎水の水は約8劼竜離を自然流下で流れています。
勾配は場所によって違うが平均では約2000分の1となります。(O.Pとは大阪湾の水位を0とした時の標高を表します)