君が代も わが代も共に 長濱の 
             真砂のか須の つき屋らぬまで
                                  竹中半兵衛

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豊臣秀吉が羽柴筑前守秀吉の時、天正元年、浅井氏の小谷城を攻略、その戦功により主君織田信長よりその故地を領有し小谷に入城せしが小谷城は北に偏し雪深く寒さ厳しく気候の変化ははげしく適地にあらずを以て三里余り南西の方に今浜とて古き城所に着目し、即ち湖に沿い雪浅く舟の往来に便利、その上、信長の安土城に伺候するにもよく、翌天正二年春此処に住まんとて築城に着工寺院も移し人家を集め町造りを始められたり、今浜を改め長濱と名付け、これ地名長浜の起源にて開町四百年前の事なり。

秀吉の軍師たりし竹中半兵衛の誌せし豊鑑に明らかなり、秀吉入城以来領内の社寺には夫々保護を加え領民には善政を施し地租免除の朱印状にて三百石を与え、長濱の繁栄を願われ今日の長浜の基礎を築かれ候也。