岡山県高梁市の臥牛山山頂に建つ、
備中松山城天守(国指定重要文化財)
最も高い所に天守の現存する山城(標高430メートル)、二層二階の典型的な山城だが三層に見えるように考えられている。
籠城戦を想定し、囲炉裏や装束の間が設けられており、二階には御社壇があるのが特徴で、天守は1683年、水谷勝宗によって大修復されている。

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接続廊下
この天守は二層二階であり、ここは二階ではなく、八の櫓と天守をつなぐ廊下である。

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囲炉裏
板石造りで籠城時の城主の食事や暖房用に用いられたといわれている。
天守閣のなかに切り込みの囲炉裏があるのは珍しい、戦国時代、備中の首都として、この城の激しい争奪戦が幾度となく繰り返された経験から生まれたといわれる。

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この階段には踊り場が付き折れ曲がっている。敵がすぐにあがれないように曲げ、巾も一人しか通れないように狭く階段の勾配も急で、すべての防御に有利に考えられている。勾配が急であるため各階段の踏み板に滑り止めの工夫がなされている。
この工夫は実際に登りやすい。

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狭間
敵兵攻撃の為の弓・鉄砲用の穴、敵の攻撃を防ぐため外側はなるべく小さな穴でなければならない。壁が厚いため小さな穴では内側からは敵が見えず鉄砲や矢の方向が定められないので内側を広くして見える範囲を広くする工夫であった。

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二重櫓
天守の北側に岩盤の上に造られた二重櫓で天然の岩盤の上に石垣を築き建てられている。

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この城の歴史は古く、鎌倉時代の延応二年(1240)に有漢郷(現在の高梁市有漢町)の地頭に任ぜられた秋庭三郎重信により臥牛山の大松山に砦が築かれたことに始まります。