慶長4年、服部平左衛門の次男として伊賀服部郷荒木村で誕生する。
父親は藤堂家に仕えた服部平左衛門、
大和国郡山藩松平氏に剣術師範として出仕する。

寛永11年(1634年)備前国岡山藩池田氏家臣の義弟・渡辺数馬の敵を伊賀上野で討った事件は、「伊賀越の仇討ち」として有名。

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藤堂家預けとなったのち、寛永15年(1638年)因幡国鳥取藩池田氏に引き取られる。

屋敷跡は郡山城の南西部にある小高い山の中腹にある。今は住宅地となっているが当時は細い山道が城から通じていたのだろうと想像しながら帰路に着いた。