この北川橋は江戸時代、南たもとに高札場があって板橋だった。廻船の船着場にも近く、この一帯は熊野古道の交通の要所でした。

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昭和40年代初めまで、隣町の海山町(現・紀北町)を結ぶ乗合いバスの停留所があり尾鷲市の玄関口として賑わっていました。

北川橋の四隅の親柱の上には電気の灯籠があり、町民や旅人に親しまれてきたが長い年月と津波などの被害で昭和初期に消失しました。
平成20年7月、足元を照らす「あかり」の役割と「尾鷲の玄関口」「熊野街道・中井町通りの象徴」として、その歴史を後世に受け継いでもらいたいとの想いで復活したとあります。