嘉永元年、名工谷口与鹿は出雲神話による、素戔鳴命(スサノオノミコト)と結ばれた奇稲田媛(クシナタヒメ)の父、足名稚(アシナズチ)を足長に、母、手名稚(テナズチ)を手長に具象化彫刻し、高山祭屋台恵比須に取り付けたものを模したものである。

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弥生橋の歴史
第二十三代飛騨代官増田作右衛門が安政五年(1858)に赴任し、急ぎ架設を決めた橋が安政六年に完成した。弥生三月に通行できるようになったと喜びをもって弥生橋と命名された。付近に丸木の引き渡しの橋もあったが橋脚を備えた架設はこれを創始とする。

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備考
弥生橋付近は、護岸の整備が繰り返された所であり、明治初頭に就任した高山県知事梅村速水も、その補強に腐心している。洪水のたびに弥生橋が流失し、その都度復旧してきた。
昭和10年6月の大洪水で流失した弥生橋と破壊された護岸は昭和11年に高山町と大名田町が合併し高山市発足の際の優先工事として昭和12年に永久橋として完成した。
平成になり老朽化と交通路整備のために幅員を拡げて平成14年この弥生橋が架橋完成した。