一等水準点
この歩道の下に水準点が設置されている。水準点とは東京湾の平均海面を零として水準原点(東京都千代田区永田町一ノ一)を基準にして標高を定めたものである。精密度により一等二等などの等級がある。

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三番叟台 壱之町上組
三番叟屋台の創建年代は不詳であるが、宝暦三年(1753)と推定され、台紋は折鶴(鶴)である。
明治37年古川大火事により消失し、現存するのは猩々緋大幕とあやつり人形のみとなり、屋台は「休台中」となっている。
猩々緋大幕は嘉永四年(1851)作、あやつり人形は女三番曳で、踊りは明治10年頃より能狂言「扇」を定能したと記録がある。

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野麦峠(あ々野麦峠 山本茂実)
「二月も半ばをすぎると信州のキカヤへ行く娘たちが高山の町に集まってくる。もっと奥地の数河、稲越、天生、月ヶ瀬あたりの人たちは、深い雪の天生峠、神原峠、小島峠を越えて古川の八ッ三旅館に一泊し、ここから次の日高山の宿に集合した。」・・・・・

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「はじめて糸ひきに出る子をシンコ(新工)といったが、これは小学校四年(当時の義務教育)を出たか出ない十一、二歳のまだいたいけな子供である。それでも先輩格の〈おねえさん〉方から教えられて髪を桃割れにし、赤い腰巻きにワラジをはいて、荷物も一人前に袈裟懸けにしょっている姿は、それはいじらしいものであった。」

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私が野麦峠に立ったのは2007年10月14日午前8時過ぎでした。旧野麦街道やお助け小屋周辺をカメラに収め資料館(野麦峠の館)に立ち寄った。
館内に私一人だったからか館長の案内を受け、終わりに館長は「多くの人が野麦峠を越えたが身を売った人は一人もいなかった」と力強く語ったのを記憶している。