天守閣の復興が議会で可決
昭和3年11月、昭和天皇即位の式典が行われるにあたり大阪市の記念事業として、寛文5年(1665)1月の落雷で焼失して以来、約270年間失っていた天守閣の復興が大阪市議会に提案され満場一致で可決しました。

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昭和3年から募集した寄付金はわずか半年で目標額の150万円に達しましたが、大阪城内は明治以降、陸軍の軍用地になっており、あらゆる施設が建っていたため一般の市民や観光客が自由に出入りすることは困難が予想されました。
そのため陸軍からいくつかの条件が出され、それを認めることで再建が進められました。その条件とは、募金額の6割を新庁舎の新築に充て残りの4割を天守閣再建と大阪城公園の整備に充てること。また、いざという時は天守閣を軍部に明け渡すということでした。

新築された第四師団司令部の庁舎は、戦後、進駐軍の本部、大阪市警察本部と移り変わり、大阪市立博物館として2002年3月まで利用されていました。
豊臣期の天守閣の復興が望まれ、数少ない資料から現在の天守閣が設計されました。

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