山里丸と二の丸を結ぶ橋で豊臣秀吉が天正11年(1583)に築造を開始した大坂城でもこの付近に架けられた橋を極楽橋と呼び、大坂夏の陣で落城後、徳川幕府が再築した時にも架け直された。

江戸時代には幅約8メートルの木造で、慶応4年に起こった明治維新の大火によって焼け落ちたが97年後の昭和40年に再架橋された。
戦国時代この地にあった浄土宗本山、大坂(石山)本願寺以来の名称ではないかと考えられている。

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秀頼・淀殿ら自刃の地
慶長20年(=元和元年、1615)の大坂夏の陣では、旧暦5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。
平成9年、現在の山里丸の一画に記念碑が建てられた。

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