大坂城の前身に石山本願寺がありました。明応五年(1496)本願寺8代法主蓮如が石山御坊という隠居寺を建てたのが始まりと云われています。山科石山本願寺本坊が徐々に大坂に移されることになり、城郭の造りを形成し石山本願寺と呼ばれるようになりました。

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11代法主顕如の時、織田信長から「石山本願寺の明け渡し」を要求され、織田信長に抵抗し戦となります。元亀元年(1570)から実に10年間に及ぶ石山合戦が起こり、天正八年(1580)に信長に降参することになります。

明け渡し直前に不審火により、三昼夜にわたり炎上し城郭であった御坊は全焼してしまいます。この石山本願寺の炎上が1回目の炎上で、この時、もっとも大きな抵抗勢力を退け勝利した織田信長は、この後、天下統一の礎を築いていくことになります。

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天正八年(1580)八月、石山合戦に勝利した織田信長は石山本願寺跡地に城郭を築きます。これが大坂城です。
しかし、この時の大坂城は後世の城とは規模が違っており、石山本願寺の遺構に応急処置を加えただけの城郭に過ぎませんでした。
信長が大坂城の初代城主となり、重臣の丹羽長秀・織田清澄らを常駐させます。天正10年(1582)6月、本能寺で最期を遂げるまでの2年間、大坂城の城主は織田信長でした。