第3代城主 羽柴秀吉
秀吉は柴田勝家を破り、名実ともに信長の後継者となります。天正11年(1583)、池田恒興を大垣に移封させ、秀吉自らが大坂城主となります。

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秀吉は大坂を政治の中心地とすることに決め、大坂城を安土城のような大規模な巨城にしようとし、天正11年9月1日から工事を開始します。
天正13年に一期工事が終了します。外郭工事が終了するのは、秀吉が病没する慶長3年(1598)でした。約15年に及ぶ工事は、想像を絶する力の入れようでした。

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豊臣期の大坂城は、本丸(五層の天守閣)、山里曲輪(茶室がいくつもあり千利休が活躍した場所)、二の丸、三の丸、現在の大阪城よりも数倍広大なものでした。
下水道は現在でも使用され、建物と建物が背中合わせになっているところに溝が掘られたので「背割下水」あるいは「太閤下水」と呼ばれています。

本丸があった場所は、「豊臣時代大坂城本丸図」によると現在の天守閣がある東北約100メートルの処にありました。

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第4代城主 豊臣秀頼
秀吉の死後、子の秀頼が後を継ぎ第4代大坂城主に就きます。秀頼は年が若く、秀吉のような影響力がないため、五大老のひとりである徳川家康が次第に勢力を拡大させます。同じく五大老のひとりであった前田利家が亡くなり、ますます徳川家康の力が強大化していきます。