伊予松山城二ノ丸史跡庭園
松山城の二ノ丸は本丸を防備する為の施設で南と西側には内堀があり、高い石垣と強固な櫓や門、それらをつなぐ塀によって周囲が囲まれていました。

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二ノ丸邸は、蒲生忠知の時代(1627〜1634)に完成し明治5年の火災によって焼失しました。

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この二ノ丸史跡庭園は、表御殿跡と奥御殿跡とに大別され、表御殿跡は北半分にある「柑橘・草花園」で各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りを表現し、奥御殿跡は西南部にある「流水園」で水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています。
また、林泉庭は露岩を背景にした池・滝を配置して「わび」「さび」を表現しています。

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松山城山樹叢
標高132メートルの城山は、加藤嘉明が慶長7年に築城を始めた頃は禿げ山であったがアカマツが植林されて山一面を覆い松の山になったと伝えられる。
現在はアカマツがツブラジイなどの勢いに負けて数少なくなっている。

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ツブラジイの群落に混じって、クスノキ、アラカシ、ホルトノキ、アベマキなどの大木が茂っている。その林の下にはアオキ、タラヨウ、ヤブニッケイ、シロダモ、などの照葉の常緑樹があり、さらに、その下にはいろいろなシダ類も見られる。
また、ここにはシノノメザクラ、ヤマザクラ、ソメイヨシノなどの桜も多い。種子植物、シダ類を合わすと約550種の植物が繁茂している。

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黒門口登城道、二ノ丸跡から本丸まで約20分の登り坂、