二ノ丸から本丸へ
黒門口登城道は慶長年間に造られ二ノ丸から本丸への通路であった。

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大手門跡

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中ノ門跡
大手登城道の太鼓櫓石垣下に設けられていましたが明治時代に取り壊されました。
この門を設けることで、攻めてきた寄手は門を通りすぎて直進する者と戸無門へ行く者に分かれますが直進した者は乾門下で行き止まりとなります。
太鼓櫓から乾門へ続く石垣は屏風折と呼ばれ石垣が屈折しています。これは寄手がどこにいても弓や鉄砲で射撃できる横矢掛といわれる防衛上重要な構造となっています。

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戸無門
この戸無門は、本丸の大手登城道に設けられた高麗門です。両脇の寄掛柱を石垣にもたせ、脇戸はありません。江戸時代から戸無門の名で呼ばれており、鏡柱に扉を吊る肘壺の痕跡もないので創建当初から扉を持たなかったものと考えられます。
建築年代は明らかではないが、寛永から正保年間(1624〜1648)の建立と推測されています。また、寛政12年に立て替えられたことを示す棟札が残されています。

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