姫路の西南に位置する室津は古くからの瀬戸内航路にあっては天然の良港として知られていた。

室津の陣屋
播磨国は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、三河吉田から移封した池田輝政の領地となり、その後、龍野・新宮・林田の諸藩が成立したが、室津だけは姫路藩の飛び地となって残され江戸の初めから明治にいたるまで姫路藩の支配であった。

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江戸期、参勤交代の西国大名の殆どが室津を経由していた。明和4年(1767)の「薩摩藩覚書」によると、室津の本陣は肥前屋・肥後屋・紀井国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋の6軒であった。他に本陣が不足した場合、回漕問屋の嶋屋と海産物問屋の魚屋が一行の宿舎に充てられ西国の73藩が利用したという。

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