この建物は検査工室で、毒ガス製品の管理や機密書類の保管の他、毒ガスの検査などがおこなわれていました。

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この建物は、毒ガス製造時代の研究室と薬品庫として使われていました。(休暇村が整備された頃、一時宿泊施設として使用されたことがありました。)

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備考
東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本陸軍の毒ガス工場として、昭和4年に大久野島に設置され、昭和20年終戦後米軍により破壊されました。この工場は、各種毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されましたが、イペリットの生産に重点がおかれていました。
(ドイツ式イペリット、フランス式イペリット、ドイツ式不凍イペリット、ルイサイト) これら、びらん性毒剤は、揮発性が低くいったん土壌、草木、屋根等に付着すると、強力な毒性を発揮しながら、ゆっくり蒸発していく。毒剤が皮膚に付着すると、2〜3時間後に強度の疼痛を覚え水疱が発生する。又、強力な浸透力により呼吸器を通って体全体に大きな傷害を引き起こした。

大久野島 広島県竹原市忠海町