国の重要文化財を見に行こうと大阪府富田林市川西へロードバイクで行ってきました。

社殿は、明治45年特別保護建造物、昭和8年に国宝の指定を受け、昭和25年国宝査定基準変更に伴い本殿と両摂社が重要文化財となったと書かれています。

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錦織神社がある地域、富田林市宮甲田は古代律令制における河内国錦部郡最北端にあたり、錦を織る技術者の集落として、また、水の合流点栄え、かつてこの宮は錦部の一の宮といわれ「河内三水分」の一つとして称えられていました。

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天誅組河内勢志士の顕彰碑

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備考
文久3年8月17日、天誅組河内勢六十余人は中山忠光を盟主とし皇軍の先鋒として甲田水郡邸を出発し、同日長野三日市経て観心寺の後村上天皇陵を拝し、大楠公首塚の前で結盟を誓い千早峠を越えて大和に入り、五條代官を屠りてその所領を天朝直轄の御地御民と宣言し、倒幕の第一声を挙げた。
然るに翌18日、突如として京師に政変起こり、廟議一変し却て逆徒として追討せられることとなる。然れども少しも之に屈せず、至誠の必ず天朝に達することあるべきを確信し、兵を十津川郷に募り吉野の山野を血汐にそめて孤軍奮闘し遂に刀折れ矢尽きて、僅か40日にして9月24日、或いは鷲家口に戦死し、或いは紀州龍神に捕らえられて、翌元治元年7月20日京都に於いて斬首された。実に明治維新の魁として花と咲き花と散った人々である。