地はひとつ 大白蓮の花と見ぬ
             雪の中より 日ののぼるとき

-

与謝野晶子は、生涯に短歌5万首を詠んだとされます。
与謝野晶子の、女性の自由と自立をめざした評論活動や、「君死にたまふことなかれ」の詩に書かれたことは、現代では誰でも納得するきわめて当然の内容です。しかし、晶子の生きた時代には、理解されない場合が多く、数々の非難中傷を受けました。

        あゝをとうとよ 君を泣く
        君死にたまふことなかれ、
        末に生れし君なれば
        親のなさけはまさりしも
        親は刃をにぎらせて
        人を殺せとをしへしや、
        人を殺して死ねよとて
        二十四までをそだてしや

この詩は日露戦争に従軍した晶子の弟への思いを詠んだもので、時代を超えて人々の心を打つ作品ですが、明治38年の発表当時は、
「国家観念を藐視したる危険なる思想の発現なり」と非難されましたが、晶子は「当節のやうに死ねよ死ねよと申候事、又なに事にも忠君愛国などの文字や畏おほき教育勅語等を引きて論ずる事の流行は、この方却て危険と申すものに候はずや――」と反論しました。