小田原城は、江戸幕府の三代将軍家光の乳母、春日局の子稲葉正勝が寛永9年(1632)城主になると、大規模な工事が行われ石垣を備える近世城郭として整備されました。

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二の丸東堀は、本丸・二の丸を守る堀の中でも最も大きなもので、幅は最大で約40メートルあり、現在よりもさらに北に約60メートル先まで続いていました。又、西は常磐木橋、南は南曲輪の前までつながっていました。
現在の石垣は、大正12年の関東大震災で崩れたものを昭和初期に復旧したもので、江戸時代の石垣は現在よりも高く、二の丸の石垣として威厳のある姿でした。

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昭和30年頃の二の丸東堀

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