和田塚は、建保元年、鎌倉幕府内部抗争による北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍を埋葬した塚として今日まで伝承されている。
和田塚の前身は古墳時代の墳墓であったと伝えられている。大正末年頃の開墾などによって多くの塚が壊されたが、五輪塔をならべた和田塚はかろうじて残った。鎌倉の歴史を語る上で貴重な遺跡である。

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江ノ島電鉄「和田塚駅」

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