田中吉政は豊臣秀吉に名前の一字を賜るなど重用され、当時尾張の領主となった秀吉の甥秀次の付家老として天正十八年(1590)に岡崎に入城し、以降十年間、新しい城下町づくりを行った。

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関東の徳川家康の西上に備え、城下町全体を堀と土塁で囲み、総曲輪と櫨門を築いて「二十七曲」と呼ばれた屈折の多い道を造った。
又、矢作川に橋を架け、東海道を城下町に導くことで商工業の発展を計った。寺院神社の領地没収など厳しい対策もこうじたが兵・農・商・工を区分し、町や交通の発展を見通した現在の岡崎の基となる都市開発を行った。