江戸時代を通し、友好国であった李氏朝鮮は将軍に向け全12回の使節を派遣した。使節は修好・親善だけでなく文化使節としての側面も併せ持ち正使・副使・従事官の他に、朝鮮第一級の学者・医者・芸術家・楽隊・曲芸師など多彩な文化人が加わった平均500人からなる大使節団であったので沿道ではたくさんの見物客が出迎えた。

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一行は海路瀬戸内海抜け大阪から京都に入り、陸路で江戸に向かった。岡崎宿は、将軍の慰労の言葉を伝える最初の宿泊地でもあり、岡崎宿の対応は一大行事であった。