与謝野晶子の歌碑が見当たらない、仏徳山(通称大吉山)に歩いて行き下山してきた人に聞いたところ東屋の左にあると聞いた。随分登ったところに東屋があり歌碑もあったが作者不詳の歌碑だった。
眼下には宇治川を挟んで平等院が見える。

-

   『そらみつ 倭(やまと)の國 あおによし 奈良山越えて 山代の 管木(つつき)の原 ちはやぶ
     る 宇治の渡瀧つ屋の 阿後尼(あごね)の原を 千歳に 闕(か)くる事無く 萬歳(よろづよ)
      に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣帛(ぬさ)取り向けて われは越え行く 
        相坂山を』

「この歌の作者は不詳で、「大和の国の奈良山を越え、山城の国の管木の原、宇治川の渡し場、滝つ屋の阿後尼の原と続く道を、いつまでも欠かさず、永久に通いたいと、山科の石田の神社の神に幣帛を手向けて祈り私は越えて行く相坂やまを」 という意味である。

-

-