京都南郊の宇治の地は、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。
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鳳凰堂には52049枚の瓦が使用されており、建立当時は木製瓦を使った木瓦(こがわら)葺きだったが約半世紀後の康和3年(1101)の修理で粘土瓦を使った総瓦葺きに改修された。粘土瓦は平等院の荘園であった「玉櫛荘(たまくしのしょう)」(現在の大阪府八尾市)の向山瓦窯跡で1100年初頭に製造されたとされ、2012年9月に始まった改修作業でも平安期の陶器瓦がまだ1560枚そのまま屋根に残っていることが確認された。

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庭園 は 中島に鳳凰堂の建つ阿字池を中心とした浄土式庭園、(国指定の名勝)、平成2年からの発掘調査により平安時代築造の州浜が検出され、現在は創建当初の姿に復元整備されている。鳳凰堂への入堂も池の北岸から2つの小橋を渡る当初の形式に復されている。

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