古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫神社は明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰めにありました。交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。
宇治が主要な舞台となっている源氏物語宇治十帖の第一帖は、「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっています。

【平等院参道】

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「橋姫」
「その頃、世に数まへられ給うはぬふる宮おはしけり。」と「宇治十帖」は書き始められる。光源氏の異母弟の八宮は、北方亡き後、宇治の地で失意と不遇の中に、二人の姫君をたいせつに育てながら俗聖として過ごしておられた。世の無情を感じていた薫君は、宮を慕って仏道修行に通い、三年の月日が流れた。
晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、
「あはれになつかしう」思い、
     橋姫の心をくみて高瀬さす棹のしずくに袖ぞぬれぬる   と詠んで大君に贈った。
出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ることになる。

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橋姫神社は、
      高浜原発から75キロ、大飯原発から74キロ、美浜原発から91キロ、敦賀原発から98キ
      ロ、高速増殖炉もんじゅから96キロ。