東洋紡績専務取締役・岡常夫の遺族から贈られた100万円と関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円(現在の75億円に相当)を基に、1931年12月、日本綿業倶楽部の施設として建設された。

近代の日本を代表する施設として国際会議の場として数多く利用され、1932年3月には リットン卿を団長とする国際連盟日華紛争調査委員会メンバー(リットン調査団)が来館するなど、戦前の日本外交の舞台にもなっている。

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1945年3月の大阪大空襲で船場オフィス街は壊滅的な被害を受けたが、この建物は各部屋の窓にワイヤー入り耐火ガラスを使用していたために、窓ガラス1枚とカーテン1枚に被害を受けただけで殆ど無傷であった。

同年7月5日、大阪師団管区司令部はこれを徴用となし、倶楽部は休館のやむなきにいたって寺田ビルを事務所とした。日本敗戦後の同年10月11日、占領軍はこれを全館接収し、1952年5月23日返還するまで使用した。

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設計は渡辺節らによりなされ、外観はアメリカのオフィスビル風でさりげないが、クラブ建築らしく内部は充実しており、室毎に異なるスタイルで装飾されている。ジャコビアン様式(イギリスの初期ルネサンス風)と言われる2階談話室は全室中最も豪華な部屋で、映画やドラマの撮影などにもよく使われる。非財閥の民間の建物でありながら、内外装の細部に至るまでのデザインや最先端の設備の導入がなされるなど、「最高」を求めた造作になっている。
【館内見学】
倶楽部会員と同伴する場合は無料、一般は毎月第四土曜日第1部は11時から昼食付き2600円 第2部14時30分から500円 予約制となっている。