格子に数條ある痕跡は鳥羽伏見戦(1868)の弾痕です。幕末の慶應4年1月3日、4日に薩長士連合の新政府軍と幕府軍とが大激戦をくりひろげた、世にいう鳥羽伏見の戦いです。

幕府の大政奉還の奉上、朝廷の王政復古の令の直後、朝廷側が決定した第15代将軍慶喜の辞官、納地は、幕府を怒らせ、京へ攻め上がってまいりました。新政府軍は、これを鳥羽伏見で迎え撃ち、伏見では一大市街戦が展開され、幕府軍は敗れ、淀、大阪方面へ退却しました。

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この戦乱で伏見の街の南半分が戦災焼失、街は焼野原となりましたが、幸いにして、この建物は弾痕のみの被害で焼失を免れました。

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