岩橋千塚は、すでに江戸時代の天保年間にその存在が記録され、学術的な調査としては明治40年大野雲外がこの古墳群を調査して、石梁と石棚の架構された特異な横穴式石室を学会に紹介し、さらに翌年にはイギリス人N.G.マンロ−がヨ−ロッパで発表している。
本格的な発掘調査は、大正7年から10年かけて和歌山県が中心となって実施されその結果、歴史的に重要な古墳群として、昭和6年に国の史跡となり、さらに昭和27年には特別史跡に指定されている。

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前山A13号墳

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前山A32号墳

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岩橋千塚古墳群には、様々な形の古墳があります。古墳の形には円墳、方墳、前方後円墳などがあり、これらは上から見たときの形を示していて、円墳は丸く方墳は四角く前方後円墳は四角と丸を前後に組み合わせた形をしています。
沢山の古墳が密集したものを群集墳と呼びますが岩橋千塚古墳群は全国的にも特に大きな群集墳として知られています。丘陵上に前方後円墳が並び、周囲に円墳が密集している様相は、この古墳群の独特なあり方として注目されています。岩橋千塚古墳群の9割は円墳で残りの1割が方墳と前方後円墳です。

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