明治の文豪・泉鏡花は、大泉原村の高等小学校で講演するため明治42年に来桑、ここ船津屋(東海道桑名宿大塚本陣跡地)に宿泊した。この時の印象を基にして、小説「歌行燈」を書き、翌年一月号の『新小説』に発表した。

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昭和14年、東宝映画から依頼を受けた劇作家・久保田万次郎は船津屋に泊まり、3ヶ月ほどで戯曲「歌行燈」を書き上げた。昭和15年7月に、まず新生新派により明治座で上演され、昭和18年に成瀬巳喜男の監督で映画化された。上演・映画化にあたり、万次郎は手直しのため再度船津屋を訪れている。
船津屋は当初から格式高い料理旅館だったが、小説では湊屋と書かれ、裏河岸から「かわうそ」が這い上がってきて悪戯をするという噂話が登場する。
俳人としても著名だった万次郎が、船津主人の求めに応じてその情景を詠んだのがこの句である。
         −  かはをそに 火をぬすまれて あけやすき  −