箕面川
野村泊月、本名を勇、丹波の産。兄西山泊雲と供に高浜虚子につき俳道に入り、早稲田大学英文科を終え、中国、米国に遊学後、大阪にて「山茶花」を興し、「桐の葉」を主宰し、多くの指導者を育成したるホトトギス派の功労者である。晩年、不幸にして失明、昭和36年2月13日豊中にて逝く。行年80歳
−椎の花八重立つ雲の如くにも− 泊月
この句は昭和23年5月瀧安寺にて詠んだものです。
野村泊月、本名を勇、丹波の産。兄西山泊雲と供に高浜虚子につき俳道に入り、早稲田大学英文科を終え、中国、米国に遊学後、大阪にて「山茶花」を興し、「桐の葉」を主宰し、多くの指導者を育成したるホトトギス派の功労者である。晩年、不幸にして失明、昭和36年2月13日豊中にて逝く。行年80歳
−椎の花八重立つ雲の如くにも− 泊月
この句は昭和23年5月瀧安寺にて詠んだものです。