この一帯の台地は、字名「行幸芝」と呼ばれ、飛鳥時代に斉明天皇が湯治のため滞在された「行宮跡」があった所です。
日本書紀によると、斉明4年(658)10月18日に斉明天皇は前年、甥の有間皇子が風光明媚なこの地で過ごし、自然に湧出する温泉により病もすっかり回復したと語る話に心をひかれ、皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)等を伴って海路行幸され、翌年正月三日に帰郷されるまでの二ヶ月半この行宮で滞在されました。

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この間、都では有間皇子に謀反の疑いがかけられ、皇子は捕らわれの身となって、天皇の滞在するこの行宮にて中大兄皇子の厳しい尋問を受けられました。その後、謀反の疑いも晴れぬまま有間皇子は都に帰る途中、藤代坂(海南市)で絞首刑となり19歳の若さで命を落とされました。
皇位継承の渦に巻き込まれた悲運の皇子として語り継がれました。

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