昭和を代表する作家高見順は明治40年この家で生まれた。父は当時の県知事阪本デ圭、母は高間古代。2歳の時に上京し、東京大学を卒業、作家活動に入る。「故旧忘れ得べき」で芥川賞候補に挙げられ、以後、人気作家として活躍。昭和40年食道ガンの為没する。
日本海を望む海岸崖上に古里三国に想いを寄せた「荒磯」の詩を刻んだ文学碑が建つ。
「われは草なり」
われは草なり 伸びんとす 伸びられるとき 伸びんとす 伸びられぬ日は 伸びぬなり 伸びられる日は 伸びるなり
われは草なり 縁なり 全身すべて 縁なり 毎年かはらず 縁なり 縁のおのれに あきぬなり
われは草なり 縁なり 縁の深きを 願ふなり ああ 生きる日の 美しき ああ 生きる日の楽しさよ われは草なり 生きんとす 草のいのちを生きんとす
日本海を望む海岸崖上に古里三国に想いを寄せた「荒磯」の詩を刻んだ文学碑が建つ。
「われは草なり」
われは草なり 伸びんとす 伸びられるとき 伸びんとす 伸びられぬ日は 伸びぬなり 伸びられる日は 伸びるなり
われは草なり 縁なり 全身すべて 縁なり 毎年かはらず 縁なり 縁のおのれに あきぬなり
われは草なり 縁なり 縁の深きを 願ふなり ああ 生きる日の 美しき ああ 生きる日の楽しさよ われは草なり 生きんとす 草のいのちを生きんとす