金子 みすゞ、(1903年4月11日 )は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。
本名、金子 テル。 大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。

s-CIMG0958

s-CIMG0962


山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)の生まれ、郡立深川高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業、父は、妻(みすゞの母)の妹の嫁ぎ先である下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったが、1906年、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死[をとげる。劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。叔母の死後、正祐の養父とみすゞの母が再婚したため、みすゞも下関に移り住む。
1926年、叔父(義父)の経営する上山文英堂の番頭格である宮本啓喜と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年2月に正式な離婚が決まった。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、享年28〈数え年〉、26年の短い生涯を閉じた