松前城は、西蝦夷地(渡島国津軽郡、のち福島郡の一部を編入で松前郡福山(現・北海道松前町松城)にあった日本の城(平山城)で、江戸時代、公式には福山城と記されたが、当時から備後福山城との混同を避けるため松前城とも呼ばれていた。

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江戸時代末期に海防強化のため松前藩が江戸幕府に命じられ、居城であった福山館を拡張する形で築城し、1855年(安政元年)に完成した。石田城と並び日本における最後期、かつ、北海道内で唯一つの日本式城郭である。

箱館戦争では、明治元年11月5日に土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされたが、翌年、新政府軍が奪回した。明治維新後、天守などを除く城の大半が取り壊されたが、天守は国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし1949年6月5日に類焼により焼失。そのため、創建当時から現存する建築物は切妻造の本丸御門と本丸表御殿玄関(北海道有形文化財)および旧寺町御門(現在の阿吽寺山門)のみである。今も残る曲輪・石垣などを含めた城跡が国の史跡に指定されている。

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前身の福山館は、松前慶広の代に、松前氏が居城としていた大館(徳山館)より福山へ移城した際、1600年(慶長5年)から1606年(慶長11年)にかけて建設された。福山館は堀や石垣があり、本丸のほか二ノ丸、北ノ丸、櫓が築かれていたが、松前氏が無城待遇だったことから、正式に城とは呼ばれなかった。

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