長野宿は、もともと中世の国人領主「長野氏」の城下町として発達して、江戸時代になって藤堂藩の官道として整備され宿場としての機能が充実した。
藤堂藩の町方として扱われ、夫役等の諸役が免除された。

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道の両側に家が並んでいる集落で、殆どの家が屋号を持っています。かつては、問屋が設けられていました。

長野峠の手前に「義犬塚」がある。
長野氏の家臣の愛犬が、ある日突然主人に吠えかかってきたため、首を切り落としたところ、その首は背後にいた大蛇に噛みつき、主人の命を救ったと言い伝えられている。

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