文政三年(1820)、第10代藩主藤堂睹次覆燭さわ)は藩士やその子弟を教育する為の藩校として有造館を創設した。その中心である講堂の正門がこの門である。
明治4年、有造館は廃校となったが、その後に創設された小学校第1校、師範学校、津中学校、三重女学校兼付属幼稚園、入徳幼稚園の正門として使われた。

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昭和20年の戦災時には奇跡的に類焼は免れた。戦後は当地にあった県立図書館の正門となるも昭和42年の同館移築によりこの門のみ残された。この間、入徳門は何回も場所を移り、昭和46年現在地に建てられたが老朽化が激しくなり保存修理工事を実施した。