知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

生活

速歩で

医者の薦めもあって速歩が日課になっている。
この時期は狭山池の水は7割程度は抜かれているが湖面を通った風は冷たいので民家の間を歩いている。

-

ここなら風当たりが極めて少ない。

-

-

先日、このコ−スを歩いているとピンク色の財布か定期入れのような物を拾ったので警察に届けた。中には定期券が入っていた。
以前にも財布を拾って届けたら運転免許証と現金2万円が入っていたことがあった。

原子力発電

原子力発電は、ウランやプルトニウムなどの核分裂反応を利用します。原爆が利用した反応と同じものですが、この反応を利用すれば、核分裂生成物と呼ばれる死の灰が生じます。また、プルトニウムは天然には存在しないため、人工的につくり出す必要があります。天然に存在するウランも核分裂を起こす成分(U-235)は全体の0.7%しか存在しません。そのため、たいへん面倒でかつ厖大なエネルギーが必要な「濃縮」と呼ばれる作業をしなければなりません。
原爆では核分裂反応を瞬間的に起こせますが、原子力発電では反応を制御しながら、持続的に起こすよう工夫されています。そして生じる熱で蒸気を発生させてタービンを回し、電気をを起こします。核分裂反応を利用する以外、その熱効率は33%しかありません。

-

-

放射線の人体への影響はシーベルト(Sv)という単位で表します。1Sv以上の被爆で嘔吐などの症状が現れ、3Sv以上では半数が死亡、7Sv以上ではほぼ全員が死亡するといわれています。1Sv以下の被爆ではこのような急性放射線障害は現れませんが、10年以上経ってから被曝線量に比例してガンなどを発症します。1Svで10人に1人が将来発症する確率で、これを晩発性放射線障害といいます。
原発では、事故がなくとも、そこに働く人々が相当量の放射線の影響を常に受けています。被爆労働者の問題は深刻で、同時に、周辺住民への影響も見過ごすことはできません。
今後、廃炉を決めている国はドイツ・スイス・台湾、増炉を計画している国は中国・インド・韓国がある。

希望の灯り(阪神淡路大震災)

一九九五年一月十七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災

       震災が奪ったもの
       命 仕事 団欒 街並み 思いで

       震災が残してくれたもの
       やさしさ 思いやり 絆 仲間

-

NTTフレッツ光回線

NTT「フレッツ光」回線100Mタイプを1Gタイプに変えた。ルーターが一つになりすっきりとした。

-

工事費及び設定が無料、体感できるほど快適になった。

天王寺界隈


PA070052

-

路地裏にて

-

新世界界隈

-

-

-

-

総合災害訓練

私たちの市は海から離れているし高台にあることから津波は考えられない、南海地震は震度6弱の予想となっている。
各地区の代表と地域住民が参加した災害訓練が行われた。

-

ドクターカー内部

-

地震体験(震度7になれば笑ってはいられない)、 子供の消防への電話連絡の訓練も、

-

自衛隊もパトカーや白バイも、

-

おまわりさんに白バイに乗せて貰って「ハイ チーズ」

-

消防署員による救助、 機敏な動作が日頃の訓練を物語っている。

避難勧告や避難指示を出すタイミングの難しさは良く理解できるが伊豆大島の例が活かされれば良いのだが、自治体の避難勧告に従わない住民の言い分をテレビで放映していたが、取り敢えずは避難して何も無ければ良しと私は思っている。

-

-

電波時計

何となく時計を見ると秒針が「12」で止まっている。「電池切れ」と思ったら分針が動いている。
10秒に一度動いているではないか。暫くすると秒針が動き出した。

時間を合わせていだのだ。「良くできているなぁ」

電波時計

−歩く−そしてまた歩く

4時間も睡眠をとれば充分だったのが、毎日歩くようになってから7時間ぐらい眠るようになった。
寒くて風のある日は「どうしようか」と迷ってしまうが、外にでればなんてことはない。

-

3キロから7キロぐらい歩いている。いつものコースから外れて歩いてみた。

-

歩幅を50センチに設定していたが歩き出せば83センチある。ゆっくり歩く時もあれば階段もある平均65センチぐらいだろうか。

-

歩くのは好きだ、車で走っていると見えないものが良く見える。家からさほど離れていなくても、こんなところにお寺があったんだと思うことがある。

段畑(重要文化的景観)

愛媛県は宇和海に突き出た水荷浦、
生活水を担い運んだことに由来する幅1メートル高さ1.5メートル前後の畑が開墾された。

-

宇和島では段々畑のことを段畑(だんばた)と呼んでいる。

当初は開墾した土地に雑穀を栽培したと考えられるが、段々畑化していくのは江戸時代の終わり頃(天保年間)とある。
段畑の石垣化は明治末から大正にかけて盛んとなり、サツマイモから桑へと変わり養蚕が進んだことに端を発す、

昭和30年代にはサツマイモやジャガイモは暴落し30ヘクタールあった段畑は2ヘクタールまで減少するが地元有志による「段畑を守ろう会」が結成されて5ヘクタールまで復活する。


-

電波時計

我が家には電波時計なるものが3ヶあるが、良く時を刻んでくれる。
そして電池が切れたが時刻を合わす説明書がない、しかたなく諦めて放っておいたら時刻が合っているではないか。

-

新しい時計の時刻を設定しようと説明書を見ていたら、かってに時刻を合わせていた。
知らなかったのは私だけかも、電波を拾って時を刻むのだから、当たり前といえば当たり前、
記事検索
おきてがみ
web拍手
Archives
メール
  • ライブドアブログ