知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

国際

汚職

経済成長を続ける中華人民共和国には二回訪問した。
上海も二度行っているが建設ラッシュだった。

中国では公務員の汚職が蔓延しており、政府は懲戒処分を規定した条例を公布した。
今までも厳しい処分をしていたが、家族の扶養義務拒否や虐待なども処分の対象になり、職責をおろそかにして伝染病の流行、重大な環境汚染などを招いた場合も処分の対象となる。

また、愛人を囲った公務員は免職処分。
反政府集会やデモやストライキを組織したり参加も処分される。


「愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ」

空港

ある空港の待合室に灰皿があった。

私は一本吸った。
しばらくして煙草に火をつけると若い男がやってきた。
なにやらわめいている。
私は男の顔を見るばかり、

ポケットから紙を取り出して私に見せるが日本語はなかった。
通訳が来てここは禁煙だという。
なぜ、灰皿があるのに!

すぐに火を消した。
通訳は男に125円を支払った。
通訳は言う 「罰金を払ったのだからなぜ全部吸わないのか」
いい国だと思った。

ハイ、チップ

古い話だが初めての海外だった。

ひとりだった。
入管審査が終わり出て行くと空港職員らしき人がパスポートを求め
「どこ行きますか」 
日本語だった。

表に友人が待ってると言った。
「放送してあげます」と、 
止めるひまもなかった。

私を迎えに来ているのはMさんという女性、顔も年も知らない。
「はい 3000円」 男は表までカバンを運んだ。
ずいぶん長い時間さがしたがMさんは見あたらない。

男は「タクシー」と言った。
「はい タクシー2000円 チップ2000円」

ホテルまで距離があるから2000円は安いと思うがチップは腑におちない。
まいいか 「壕には入れば壕に従え」だ。

劣化ウラン弾

恐るべき放射性廃棄物劣化ウラン、
アメリカには大量に貯蔵されている。
これらの廃棄には莫大な費用が要る。

91年の湾岸戦争に劣化ウラン弾が大量に使用された。
結果、イラクでは被爆した人たちにようって枯れ葉剤同様奇形児が誕生している。

アメリカ帰還兵も同じだ。
イラクに入った22万人のうち69%に被害が出ているという。
アメリカ政府はこれら因果関係を認めていない。

その後、95年のボスニア、99年のコソボ、そしてアフガン、イラクと劣化ウラン弾は使われた。
今回のイラクでは湾岸当時の5倍の量が使われたという。

前事不忘 後事之師

『前事忘れざるは後事の師』  −前事不忘、後事之師−

前事とは過去のこと、昔のこと。
中国の南京大屠殺記念館には大きく書かれている。

過去のあやまちを教訓としなければ、同じあやまちを二度も三度も起こしかねない。
あやまちをあやまちと認めなければ、個人であれ組織であれ、躍進はありえない。

この記念館で生存者二人から当時の体験談を聞いた。
今は年配者だが、二人はまだ子供の頃のはなし。
聞くに堪えない話で36名の団員の顔は真剣そのものだった。

氷まつり

瀋陽から長春に、長春からハルピンまで電車に乗ったが、
とにかく遅い感じがする。
食堂車で食事をしていればこの速度でいいんだと思う。

が、時間がゆっくりと流れているような気持ちにもなってくる。


中国のハルピンは、9月初旬でも長袖のシャツを着ていても朝は肌寒い。
ホテルは二重窓になっており、冬の寒さはある程度想像できる。
6時に起きて散歩してみた。

ハルビン市では、毎年恒例の氷祭りが開催され夜空を彩る花火と幻想的な氷の世界となる。
1985年から始まった。

東京ドームおよそ6個分28万平方辰良瀉呂砲蓮氷の滑り台や実物大の建物が作られていて訪れた人たちは実際に氷に触れることができる。
会場には氷でできた万里の長城やロシアの赤の広場の彫刻も展示されたことがある。

これらの氷は松花江から切り出すとの説明を受けた。
あの松花江が凍るとはとても信じられないような川幅だ。

真冬に行ってみたいような気もするが、あまりにも寒いからいいかとも思う。

緊急援助

外務省国際協力局からメールマガジンが送られてくる。
今回は特別号として、「洪水被害に対する緊急援助について 」を読んでみた。

1、我が国政府は、インドネシア・ジャカルタ特別州及びその周辺地域において大規模な洪水が発生したことを受け、インドネシア政府に対し、約1、500万円相当の緊急援助物資(毛布、スリーピングマット、プラスチックシート、ポリタンク)を供与することを決定した。
2、今回の災害は、2月1日にジャカルタ特別州及びその周辺地域にて、豪雨による洪水が発生し、多くの住民が被災したものである。5日夜までに判明している被害状況は、死者18人、行方不明者2人、被災者約34万人に上っている模様である。
3、一連の災害により、多くの被災者が現在不自由な避難生活を強いられている状況にあり、インドネシア政府は、被災者の支援に全力を挙げているが、そのような中で、今般、我が国政府に対して支援を要請してきたものである。
4、我が国としては、今回の災害による被災者に対し、人道的観点及び我が国とインドネシア両国の友好関係に鑑み、同国に対し緊急援助を行うこととした。

インドネシアは教育里子が住んでいる国で訪問したことがある。
特に、ジャワ島の人々は温厚で優しい人がほとんど、機会があればまた行ってみたい国の一つでもある。

4万年とは

3年前に、スペインで起きた「マドリード列車同時爆破テロ事件」の初公判が特別法廷で始まった。

殺人罪などで起訴された29人の被告に対し、検察は主犯格7名に禁固40000年を求刑するという。

内訳は死者1名につき禁固30年、負傷者1人につき禁固18年を累計して禁固約4万年を求刑する方針という。

この事件では191名の死者がでた。

法律は禁固刑の上限は40年となっているそうだが裁判所はどのような判決をくだすのだろうか。

南の国のお姉さん

妹を頼って日本に来たフィリピン国籍のSさんは大阪東部の小さな会社で働くこことなった。

ある日の午前中のこと、誤って左手をローラーに巻き込まれた。
診断の結果、二本の指を切断せざるを得ないとのこと。
随分と長い期間に渡って通院した。

社長は日本の保健は時間がかかると言って労災の手続きを延ばしていた。
Sさんはビザが切れて時間が経っていた。
何度もかけ合ったが同じ事しか言わないと、私に相談が持ち込まれた。

社長に会った私は次のことを約束させた。
すぐに労災保険の手続きをすること。
労働省は早くから、ビザが切れていても入管には通報しないとしていた。
引き続き雇用するように交渉したが、今のままでは仕事が出来ないことから本人の希望も聞き入れて退職一時金を支払うことで合意した。
労災保険からは毎月入金があり、等級が決まった頃には美しい義手が出来上がっていた。

帰国した彼女は祖国で子供服などを売る小さな店をはじめていた。

多くの外国人労働者から相談が寄せられたが解決できなかったのは一件だけ、本人が突然居なくなって未解決となっている。

法務省によると2005年末の外国人登録者は201万1555人で就労者は約80万人と推計されている。
外国人雇用状況報告によると2005年6月現在に報告された外国人労働者は34万人、雇用事業所数は3万弱でいずれも増加傾向にあるという。
出身地は東アジアが43%で中南米の30%と続く。

「外国人雇用状況報告制度」は報告が任意のうえ、対象も原則として50人以上の事業所に限定していて名前などの個人情報は対象外となっている。
政府は少子高齢化に伴い外国人労働者の受け入れを拡大していることから、厚労省は事業主に対して外国人労働者の人数、国籍、名前などの報告を義務付ける制度を創設する。
不法就労の防止や社会保険への加入促進が期待されるとしている。

たんに外国人労働者を管理する制度にならなければよいが、

I can kill you

「I can kill you」と言いました。
「殺すぞ」ではなく「殺せるぞ」と言ったのです。

富田由美さん(仮名)は、高校の下校途中に米兵に性暴力を受けたが誰にも話すことができなかった。
約10年後の1995年米兵による少女暴行事件が起きたのがきっかけで「私自身が警察に届け出なかった。警察に行っていればみんなが危険を知って気を付けることができたかもしれない。そうすれば小学生の事件は起きなかったのではないか」と自分を責め続けた。

1996年、大学で若い世代として沖縄に関する講演をしたとき、体験を初めて話した。
「これから一緒に働いていく若い人たちに正直に話したかった」 会場は質問も出ないほど静まりかえり、泣き出す人もいた。
富田さん自身も「話してよかったという思いと、ほんとうに良かったのかという思い」が格闘した。
「再び被害者を出したくない、証言が基地撤去につながるのなら」その気持ちが背中を押したという。

富田由美さんは沖縄県知事宛に手紙を書いた。
一部、抜粋する。

『1995年9月に米兵による少女暴行事件から10年、去る7月3日、またもや米兵による少女に対するワイセツ行為事件が起こりました。いったいいつまでこんなことが続くのでしょうか。いったい何人の女性が犠牲になれば、気がすむのでしょうか?

私は被害者の一人として訴えます。私は、高校2年生のときに米兵によるレイプを受けました。学校帰りにナイフで脅され、自宅近くの公園に連れ込まれ3人の米兵にレイプされたのです。本当に怖かった。「もう終わりだ、自分は死ぬのだ」と思いました。
何度叫ぼうとしても声も出せずにいました。

あれから20年以上の月日が流れたいまでも、私は事件による心の傷に苦しんでいます。被害者にとって、時の長さは関係ありません。被害を受けたその瞬間から命の尽きるまで、まるで寄せくる波のように苦しみが押し寄せて来るのです。それは穏やかな波のようなときもあれば、嵐のように荒れ狂うときもあります。しかし、心の傷がなくなることはないのです。

今回被害にあったのは、まだ小学生です。被害にあった女の子の気持ちを考えると、いても立ってもいられなくなります。どれほど恐ろしかったことでしょう。私は基地を押し付けようとするすべての人に書いたのです。「あなたのお子さんであったならどうされるのでしょうか?」と。

稲嶺知事、こんなにも多くの被害が起こる原因はいったい何でしょうか。私達「被害者」が「沖縄人」がいったい何をしたというのでしょうか。基地があると言うだけで、朝から子供を遊びに出すこともできないことが、私達の望む沖縄の姿なのでしょうか。
米兵たちは今日も我が物顔で、私達の島を何の制限もされずに歩いています。仕事として「人殺しの術」を学び、訓練している米兵が、です。』



強姦のうえ殺された女性は数多くいる。また、被害者が告発せず表に出ていないレイプ事件はどれほどにのぼるのだろうか。
1945年以降、レイプ事件のなかった年はあるのだろうか。
多くの事件が容疑者不明となっている。
記事検索
おきてがみ
blogram
blogramによるブログ分析
足あとを残せます。
後ほど訪問致します☆
Archives
  • ライブドアブログ