知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

思い出

呑み処

大手通信会社に勤めていた彼は「料亭にいこうか」と言った。
私は「財布にいくらあったかなぁ」と思った。

着いた処は居酒屋だった。

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意気投合して何度も行くようになった。
お互い幕末の歴史が好きで何度も終電車に乗り遅れた。

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職場のリーダーだった彼は、東日本大震災直後まだ道路が寸断している時にトラックに寝具や食料品を積んで宮城に走っている。
何度も何度も走って行った。

太宰治

太宰治(1909〜1948) 本名 津島修治
青森県津軽の大地主の家に生まれる、父親は貴族院議員も務め邸宅には30人の使用人がいた。

「苦悩の年鑑」のなかで、
「私の生れた家には誇るべき系図も何も無い。どこからか流れて来て、この津軽の北端に土着した百姓が私たちの祖先なのに違ひない。私は無智の食ふや食はずの貧農の子孫である。私の家が多少でも青森県下に名を知られ始めたのは曾祖父惣助の時代からであつた 」

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行ってみたい

子供の頃、川上から山に入ってきのこを採りに行ったのをかすかに覚えている。
どの山に入ったのかは記憶にないが山頂で探した覚えがある。

父母と一緒だったような気がする。
「しめじ」や「なめたけ」が多く採れたような、
松茸は記憶にない。

最近は手入れが行き届かないから荒れていると聞いている。
それでも行ってみたいな、
あの辺の山へ。

東から太陽が射していたような。
雑木林のなかを歩いた記憶だけが残っている。

野池で

子供の頃の夏の楽しみの一つに水泳がある。
大阪南部には野池が点在する。

野池の周りにあるススキを掻き分けると、暖められたススキの臭いと暑い空気が体を包む。
野池は危険きわまりない、水のなかは粘土層で急に深くなっている。

潜っていくと、水温は低く気持ちがよい。
一人で泳いだ記憶はないが、小学校の廊下で何度も立たされた。
それでも何度も泳ぎにいった。

野池には水草が浮いている。
水草に足を捕られたことがある。
もがけば、もがくほど足に絡みつく。
あれ以来、水草には近づかなくなった。

今は安全のために殆どの野池には柵が施され入れないようになっている。
実際、足を滑らせて落ち死亡した子供を目の当たりに見たことがある。

何度も水を飲んで危険な想いはしたが事故にはならなくてよかったと思い起こす。
現在は何倍にもなって交通事故が増えている。

夏の思いで

昭和30年代は「くろがね」という角ハンドルの自動車が走っていた。
我が家の納屋には125ccか250ccか解らないが車体の大きいオートバイがあった。

中学生になっていた私は毎夜このオートバイを乗り回した。
納屋の敷居は高い。
音を出さないように力を振り絞って敷居を越え、家から離れてからエンジンをかける。

まだアスファルトの道はなかった。
人家も少なく、人や車に会うことはなかった。
冬もそう寒いとは思わず夏は風を受けると気持ちがよかった。
しかしながら、
坂の途中になると停まってしまう。
減速を知らなかった。

そして、何事もなかったかのようにオートバイは納屋に座るのである。
たぶん家人にばれることはなかったと思っている。

体を温めて

紀伊半島には多くの温泉がある。泉質もいろいろだ。

頻繁に渓流つりをしていたころ、初期は放流されたあまごを釣り、5月に入れば天然あまごを求めて源流近くまで釣り歩く。
初期の放流釣りは気温も低いし歩く距離もみじかい。したがって、たかまきすることもなく体は芯まで冷える。

ある日の夕方、放流しているのを目撃した。
あれを釣ろう!

立ち去るまで、
我々は道中にあった温泉に行くことにした。
階段を下りていくと硫黄の匂いがした、体が温まる。
風呂桶も壁もすべて木材を使用している。
源泉は透明だが空気にふれると淡い茶褐色に変わる。


云うまでもなく、釣りまくった。釣り漁券があるから違法ではない。
魚籠はすぐに一杯になる。
そして餌がなくなった。

何時までも体は冷えることはなかった。
その温泉を入之波温泉・山鳩湯という。
いまは、改装されて露天風呂も作られている。

迎賓館にて

二度目の訪朝時に迎賓館に於いて挨拶のあと、第一回六カ国協議の朝鮮代表として参加した金英日外務次官からお祝いに朝鮮の酒をいただいた。


1本は日本に帰ってから飲んだがあと1本は記念に残してある。

外務次官は、「普段は酒もたばこも飲まないが今日は嬉しいから飲みます」と言って答礼宴が始まった。
六カ国協議が終わった直後だったので裏話などを含めて聞くことができた。

挨拶を求められた。
東京の人から良い挨拶でしたと褒められたが何を話したのか記憶にない。

朝鮮人はたばこを吸う人が多いが、
街中は綺麗に掃除がされていて塵など見たことがない。

ウグイスの籠が

あの頃の隣の住人は小学校教諭をしている若夫婦だった。
親しくなって大台ヶ原へあまご釣りに出かけた。

寝ないで走り、山道を歩き桃の木小屋あたりから釣り上がった。
帰りだった。
川沿いから道は左に上っている。

ふと上を見ると道に真新しいウグイスの籠にメジロが2匹入っているではないか。
私はもう一度見直した。


ない。

どういう訳か先ほど見たウグイスの籠がないのである。

ないものがあるように見える。
幻覚であった。

左に上っている道が真っ直ぐに見えたら、谷底に落ちて命を落とす。
おもいきり目が覚めた。

青空会

私は小学校の頃、町立の分校に通っていた。

分校は山の中腹にあり、4年生までが通学する。
5年生からは本校に通う。
学校から見下ろすと国道を挟んで櫛田川が流れている。
私の家は四方山に囲まれた櫛田川支流の前に立っていた。
ここから分校まで子供の足で1時間の道のりであった。

毎週月曜日は全生徒が音楽室に集まり「青空会」なるものが開かれた。
青空会は喧嘩をした者、道草などをした者を告発するのである。
私はよく告発された。喧嘩が多かった。
でっち上げはなかったように記憶している。

そうすると午前中は音楽室で立たされる。
2年生の1学期に大阪に引っ越した。
それまでは毎週月曜日は立たされていたような気がする。

それでも月曜日の午後になればすっかり忘れてしまった。
ひとり立たされた時の記憶が強い。

春の雪

北陸から北海道まで雪が降っている。
東北は太平洋側でも降雪があると報道された。

38豪雪を思い出す。
私が住んでいた大阪南部でも3月に30僂阿蕕だ僂發辰拭

記憶が定かではないが昭和38年3月16日から17日にかけて奈良県から三重県に入る国道166号線の高見峠を越えた。
今はトンネルが出来ているが当時はつずら折れの山道を自転車を押して登り三重県側へと抜けた。
自転車を提げると腰まで雪のなかに入る。靴が脱げても解らなかった。

15歳の春のできごと、なつかしい。
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