知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

歴史

「耳塚(鼻塚)」

この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(1592〜1598)にかかる遺跡である。

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豊臣秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級のかわりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬けにして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたれたという。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりである。
「耳塚(鼻塚)」は、史跡「御土居」などとともに京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、塚の上に建つ五輪の石塔は、その形状がすでに寛永2年(1643)の古絵図にみとめられ、塚の築成から程ないころの創建と想われる。
豊臣秀吉が惹き起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗によって敗退に終わったが、戦役が遺したこの「耳塚(鼻塚)」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として今に伝えている。

岩本実相寺

二王門

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一切経蔵

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一切経とは、経典の総称のことで、この経蔵内には宗版一切経が四巻・天海版一切経六千百七十四巻が収められていました。

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相模湾を望む

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富士山

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一切経の言語は梵語(サンスクリット)によるものと、パーリ語によるものとがある。中国、蒙古、チベット、朝鮮、日本に広まった北方仏教がサンスクリット経典を基本としたのに対して、スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア等に広まった南方仏教はパーリ語を基本としている。

沼津城大手町跡

この地域は沼津城内で本丸は中央公園付近にありました。明治5年城が解体されて、この地は荒れ地となったが同22年東海道本線が開通し沼津駅前の道路に沿って町並みができました。
町名も最初は集成町だったがその後に追手町となり、昭和初期に大手町と改称されました。
明治末頃、駅前広場から南方を写したもの

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下津港

JR紀勢本線 下津駅

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下津港
紀伊国屋文左衛門出港の港

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当時江戸では毎年鍛冶屋の神様を祝う「ふいご祭り」があり、この祭りでは、鍛冶屋の屋根からミカンをばら撒いて地域の人に振舞う風習があったが、紀州から船が来ない事でミカンの価格は高騰していた。
紀州では安く、江戸では高い。これに目をつけたのが文左衛門は早速文左衛門は玉津島明神の神官で舅の高松河内から大金を借りてミカンを買い集め、家に残ったぼろい大船を直し、荒くれの船乗り達を説得し命懸けで嵐の太平洋に船出した。大波を越え、風雨に耐えて何度も死ぬ思いをしながら、文左衛門はついに江戸へたどり着く事が出来て大金を得たという伝説がある。

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沼津御用邸(東附属邸庭園)

東附属邸は明治36年に皇孫殿下(昭和天皇)の御学問所として、赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築して造られました。夏期には隣地の学習院遊泳場とともに、ご利用の機会も多かったようです。

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新たに設けられた茶室、
『駿河待庵』

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沼津御用邸(西附属邸)

沼津御用邸は、明治期から昭和中期まで利用されていた御用邸。1893年7月、大正天皇(当時は皇太子)の静養のため、静岡県駿東郡静浦村(現・沼津市)の島郷御料林内に造営された。1969年に廃止され、現在は沼津御用邸記念公園となっている。

西附属邸は明治38年昭和天皇の御用邸として設けられ大正11年現在の形となりました。

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明治時代の歴史的建造物は貴重な木造平屋建の和風建築です。

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家具備品も保存されており、和室の畳に絨毯を敷く和洋折衷方式がとられています。

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1945年、沼津大空襲で本邸を焼失し、1969年12月に廃止されて沼津市へ移管される。そして翌年1970年7月、残された東附属邸と西附属邸を中心として周囲の緑地と共に、沼津市が沼津御用邸記念公園として開設した。

御坊寺内町中町

中町の町並み(和歌山県御坊市)

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御坊寺内町

和歌山県御坊市の寺内町は、本願寺日高別院を中心に形成された町のことで、江戸時代に商業が発展し、大変賑わいのある地域であったと伝えられています。現在は江戸時代から明治、大正、昭和へと時代の移り変わりが色濃く残る町並みが残されています。

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日高別院

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紀州鉄道(御坊寺内町)

JR御坊駅(和歌山県御坊市)

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紀州鉄道
JR御坊駅と市街地を結ぶ御坊臨港鉄道(後の紀州鉄道)が開業したのは昭和6年でした。このあたりは廻船業が盛んであったことから輸送・流通の重要性から鉄道に対して熱い期待と希望をいただいていたことが伺えます。
当時は美浜町の煙樹が浜まで線路を延長し、観光地として開発する構想が立ちましたが夢に終わり、現在は営業距離2.7キロの西日本一短い鉄道「紀州鉄道」だ。

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学門駅
御坊駅に着いたのが正午過ぎ、次の電車が1時間待ちなので学門駅まで歩くことにした。

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東町の町並み

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西御坊駅

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ガラシャおもかげの水(勝龍寺)

「ガラシャおもかげの水」

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この水は、細川ガラシャ(玉)が、夫忠興と勝龍寺城で過ごした日々、水面にその姿を映し出したでろう歴史のロマンに因んで名付けたとある。 (地下水100%水道水)

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