知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

自転車

小深の里

河内長野小深の里までサイクリング、

河内長野市を流れる石川に架かる諸越橋を渡ると小深まで約9.7キロの上り坂となる。

観心寺

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ここはなだらかな道、小深までもう少し

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小深の里

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帰りは下り坂、乗っているだけで50キロ位で走れる。帰り道、観心寺近くで交通事故、軽トラとバイクの接触事故、パトカーと救急車を横目に見ながら気を引き締めて帰宅する。

旧三日市交番

高野街道沿いにある旧三日市交番は、建築面積12坪ほどの木造2階建ての建物です。
大正10年の建築とみられますが市の記録によれば昭和27年に修理されたようです。

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さらに近年、一部屋根瓦の葺替え、正面扉がアルミ製引違い戸に変えられるなど、建築当初の様子を良く留め、近年まれとなった大正時代の木造派出所の様子を伝える建築として貴重なものとなっています。

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 三日市村役場跡

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河口慧海

慶応2年(1866)、堺に生まれた河口慧海は、明治33年(1900)、幾多の困難を乗り越えつつ、ただ一人チベットに入国しました。

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各国の言語や社会情勢を学び高地の気象・自然・医療をも勉強した彼は、世界の屋根ヒマラヤを超え当時厳重な鎖国状態にあったチベットに入ったのです。

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慧海の目的は、仏教の源泉を尋ねることにあったのですが、日本人として初めてのヒマラヤ踏破者となり、世界的に貴重な教典・仏像・民俗資料・新発見17種を含む多数の高山植物標本をもたらすことになりました。

これらの資料群は、彼が草分けとなった日本チベット学のみならず、他の学問の進歩にも多大な貢献を成したのです。
苦難の旅を綴った彼の「西蔵旅行記」は、チベット研究の第一級史料として今なお広く読まれ国際的評価の高い文献となっています。

楠木城跡(上赤坂城跡)

一の木戸(城門)
本丸に至るまでの道は「城阪」と呼ばれており4つの木戸が設けられていたと言われています。

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そろばん橋

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二ノ丸(東の城)跡

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本丸跡

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小根田城・桐山城・楠木本城とも呼ばれています。
鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成によって築城されたといわれています。

糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷(くそんど)」という地名になって残っています。
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