岡山城下から牛窓港に至る六里二十八町の道程を牛窓往来といった。

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牛窓が商業地に指定されたことで栄えた寛文・延宝年間(1661〜1680)頃、岡山藩の政治・経済・文化など諸制度が整えられることと関連して整備されたと考えられているとある。

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牛窓灯籠堂跡

瀬戸内海を航行する船舶の航行が頻繁となった延宝年間(1673〜1681)に夜間通航の標識として備前藩主池田綱政の命により建設された。

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出崎の突端の岩盤上に割石積みの基壇を築き、その上に木造の灯籠堂を建ててあったが明治維新後取り壊された。
備前藩が相前後して建設した四ヵ所の灯籠堂のうち残っているのは牛窓と大漂でこの灯籠堂は1988年復元された。