「つるのはし」は、日本書紀に「仁徳天皇猪甘津に橋をつくる、この処を小橋と名付く」とあって文献上では我が国最古の橋であるといえるとある。
このあたりに鶴がよく飛んできたことから鶴橋と呼ばれるようになった。

鶴之橋跡


江戸時代の「猪飼野村明細帳」によると橋の全長二十間(36.4メートル)幅七尺五寸(2.3メートル)の板橋となっている。

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近代に入ってからは、明治七年石橋に掛け替えられ、同32年国庫補助により欄干付き全長七間(12.7メートル)幅一間(1.8メートル)の石橋に改修された。
大正12年には鶴橋耕地整理組合の手によって新平野川が開削され不要となった旧平野川は昭和15年に埋め立てられて鶴之橋は廃橋となった。