予約していたタクシーの時間まで高梁川周辺を散策し観光センターで地図等を貰い暫し雑談をして情報を仕入れました。

タクシーで鞴峠(ふいごとうげ)まで、ここから歩いて約20分で備中松山城へ。

古くは「松山」と呼ばれていたが、江戸時代に入り牛が伏せた姿に似ていることから「臥牛山」と呼ばれている。

「ふいご峠」
備中松山城の御社壇に納められた三振の宝剣をこの場所で作らせ、その為に大きな「ふいご」が設置されていたことから鞴峠との名が付いた。

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多分、「中太鼓丸櫓跡」
かつて御根小屋と天守との伝達手段として使われた太鼓丸櫓、下太鼓丸櫓と中太鼓丸櫓の二つの中継地点を設け、太鼓の合図で連絡を取り合っていた。

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「中太鼓丸櫓跡」からの展望、

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大手門跡
大手門から先には多くの石垣が残っているが、一番目を引くのが大手門の右手にそびえる石垣群、天然の岩盤の上に石垣を築き更に土塀を建てる、

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