慶応2年(1866)、堺に生まれた河口慧海は、明治33年(1900)、幾多の困難を乗り越えつつ、ただ一人チベットに入国しました。

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各国の言語や社会情勢を学び高地の気象・自然・医療をも勉強した彼は、世界の屋根ヒマラヤを超え当時厳重な鎖国状態にあったチベットに入ったのです。

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慧海の目的は、仏教の源泉を尋ねることにあったのですが、日本人として初めてのヒマラヤ踏破者となり、世界的に貴重な教典・仏像・民俗資料・新発見17種を含む多数の高山植物標本をもたらすことになりました。

これらの資料群は、彼が草分けとなった日本チベット学のみならず、他の学問の進歩にも多大な貢献を成したのです。
苦難の旅を綴った彼の「西蔵旅行記」は、チベット研究の第一級史料として今なお広く読まれ国際的評価の高い文献となっています。