知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

ポタリング

橋本へポタリング

天気が良いのでNさんと和歌山県の橋本までポタリング、三日市を過ぎたあたり、国道を避けて遊歩道を走る。


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紀見峠

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六里道標石

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紀見峠は大阪と和歌山の県境、その昔は番所があったのだ。

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紀見峠にある集落、その昔は宿が何軒かあったようだ。

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紀見峠駅への急坂(高野街道)

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杉村公園にある吊り橋で遅い昼食とする。橋本から紀州街道を南下する予定だったので折りたたみ自転車で輪行袋を用意してきたが公園を下ると15時頃になったので引き返すことにした。

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備考
高野山へ向かういくつかの街道で、最も古く、多く用いられたのが東高野街道である。この街道は京都から八幡、枚方を経て、生駒山西麓を南下し、河内長野から紀見峠を超えて高野山に至るコースで、その成立は平安時代後期まで遡ると云われている。

ポタリング

国道を避けて脇道を南進、ロードバイクで和歌山方面に向かう、旧高野街道が走る河内長野から三日市を通り天見へ、往復30キロのポタリングでした。

10キロ地点

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三日市を過ぎたところから天見まで、ほとんど人は通らない遊歩道、国道はカーブが多く自転車は危ない。
千早口駅

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玉手橋

富田林市内を流れる石川河川敷の自転車専用道を下流に向かってポタリング、

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石川は大阪と奈良・和歌山の境をなす金剛・葛城山系に源を発し、天見川、佐備川、千早川、梅川、飛鳥川を集めながら大和川と合流する。
この辺りの石川の流れを、昔は博多川と云っていた。古くは河内国安宿郡尾張郷と称した地である。

玉手橋

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石川に臨む玉手山丘陵は、古代から重要視された地点で、古墳時代前期(4世紀〜5世紀初頭)の古墳が多く築造されたが、この古墳群は国土統一の進められた五世紀初頭における国家成立に看過することのできない地位をもつものである。

玉手橋から上流を望む

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時代が下がって元和元年(1615)、大坂夏の陣で豊臣方、徳川軍がこの玉手山丘陵を最重視し、制圧をかけて激突したことは有名である。勝負山(小松山)の地名を今に残している。
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