三十三間堂の堂内は撮影禁止のため写真はありません。

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この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。

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江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121メートル)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜くのである。「通し矢」の名もこの「軒下を通す」ということからきている。

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西縁の南端から北端へ、一昼夜24時間、矢を射つづけるという「大矢数」は身命を賭けた凄絶な競技で、江戸時代を通じて約800人がこれに望み、時々のおもいをのせて放たれた矢数も延べ百万本に達すると伝えられ、毎年正月には、この古儀に因む弓道大会が行われ、全国から約2000人が参加して賑わいをみせます。

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