京街道

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 京街道沿いにある鍵屋
鍵屋は、天正年間(1573〜1592)創業と伝えられ、江戸時代に大坂・伏見間を就航する客船「三十石船」の船宿として栄えました。
「淀川三十石船歌」に「鍵屋浦には掟は要らぬ三味や太鼓で船止める」と謳われ、淀川筋ではよく知られた名所でありました。

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現在の鍵屋主屋は十九世紀初頭の建築とされ、枚方宿で街道と淀川が最も接近する堤町にあります。表玄関を街道に開き、裏口は淀川に接しており、船の乗降に最適な構造となっていました。

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淀川舟運・枚方浜(問屋浜)跡
「過書船と伏見船の船番所」   通行手形を持つ特権川船のことを過書船と称し、享保初年(1716)には、乗客を主とした三十石船671艘、貨物運送を主とした二十石船507艘が大坂と京・伏見の間を航行していました。
一方、過書船の営業独占に対向して、元禄11年(1698)に伏見船の営業が認められたため両者は激しく競合しました。泥町村には過書船・伏見船の船番所がそれぞれ設置されました。

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三十石船とくらわんか船
三十石船は船頭4人、乗客定員28人で、伏見から大坂への下りは半日か半夜、上りは竿をさしたり綱を引いて船を曳きあげるため一日か一晩を要しました。
船客相手に飲食物を商う煮売茶船は「餅くらわんか、酒くらわんか」という売り言葉から俗に「くらわんか船」と呼ばれました。