三国は江戸時代(350年前)北前船の寄港地として栄え、江戸末期から湊の周辺には花街が賑わいました。料亭・御茶屋(19軒)が並び芸者置場(17軒)貸座敷(遊郭28軒遊女約100名)などがありました。芸妓の多い時は80人近くいたといわれています。
三国芸妓は日本でも5本の指に数える程の高い芸を持ち江戸時代の番付表(色道大鑑)の上位にランクされています。

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歴史を飾る松ヶ下の遊女・三国小女郎。そして遊女俳人歌川の句「奥底の知れぬ寒さや海の音」は大変有名です。
三国が豊かに繁栄したのもこの花街の芸妓・遊女の陰の活動があったからと考えられ、当時は三国の演舞場(芸妓のための三味線・舞踊・笛・太鼓の稽古場)から熱心に、「芸」を磨く音色が流れていた。その芸妓が残していった、お座敷唄と三味線は、三国を代表するものの一つです。